グリーンブックを観た

良かった。

 

これだけ力を入れた映画なのだからダメな訳はなく、アカデミー賞の受賞も当然でしょう。

 

とはいえ、他の人とはちょっと違う(だろう)感想を僕は持ったのです。

 

作中で、トニー・リップが、"I am blacker than you"といい、

ドックが、"So if I’m not black enough, and if I’m not white enough, and if I’m not man enough, then tell me Tony, what am I?!"

というシーンがあります。

 

僕自身は、日本人であるけれども、Black であるという自覚を持っています。

どういうことかと言えば、僕はアメリカに2回留学しました。

一回目の留学は、オハイオです。今回の映画でもちょこっとだけ出てきましたが、そこのすんごい田舎町。人口二万の町のそばにある人口数百から千人台の小さな町々の中にある、日本でいえば群立の高校に通ってました。

で、ホストファミリーは、黒人家庭。

これがね、珍しかったんです。

僕のいたタイミングで、僕の学校に居たピュア・アジア人は僕一人、アジア系のハーフが一人、そして黒人は0。

 

ところで皆さん、オハイオってどういうイメージを持たれますか?

普通の人には、日本語の「おはよう」に似た音の州、それぐらいだと思うのですが、

僕の理解だと、アメリカでもっともアメリカらしい州がオハイオです。

何がアメリカらしいのか、というのは、各自それぞれの理解があるとは思いますが、

アメリカ50州のうち、大多数の州の最も平均的な姿、つまり、白人が大多数を占める社会で、黒人が一割程度、そこに数パーセントのアジア人と、アジア人よりは多いだけのヒスパニック系が居て。

町の主要な産業は農業。近所にちょっとした産業を抱える都市があり、若手はそこに働きに行く人もいるけれど、基本は村で農業な暮らしを送る人が大半。町の中心には教会があり、普段は教会に行くことは少ないけれど何かあったら人は集まる。町の中心にはもう一つ、高校があり、そこのフットボールスタジアムにはフットボールの季節になったら地域の人たちが集まり試合に熱中するというより、馴染みの人間をさがして騒ぐ。

 

僕が映画やテレビで感じた一般的なアメリカはこういう姿で、オハイオの片田舎というのはまさにそういう地域なのです。 アメリカ社会の平均値というより、中央値といいましょうか。

 

オハイオは、中西部に位置します。

雑誌エコノミストは、「この中西部の一画はアメリカのあらゆるものの一端を含んでいる。北東部の一部であり、南部の一部である。都市の一部であり、田園部の一部である。ぎりぎりの貧困の一部であり、景気の良い郊外の一部である。」と記したそうで、まさにその通りなんです。

 

さらに付け加えれば、オハイオ州からは7人の大統領が生まれています。「大統領の母」という呼び名さえあります。先日の大統領選挙の時にも報道されましたが、オハイオ州を制した候補が全米を制しています。

それぐらい、アメリカの中のアメリカ、平均的なアメリカというより、中心値的なアメリカなのです。

 

普通の日本人は、NYかLAあるいはSFあたりをアメリカとイメージするでしょうけど、違うんです。日本にとっての、大都市近郊の中小規模の町とでもいうべきなのかもしれません。地下鉄は無いけど、ショッピングモールはある。電車か高速バスを使えば一時間かそこらで、地方中核都市に行ける、ぐらいの。

  

で、僕は白人だらけの社会にポツンと飛び込んだアジア人で、英語が本当にできなかった。はじめの三か月ぐらいは何をどうして過ごしていたのか、今でも不思議なぐらいです。チンパンジーとジャパニーズを聞き違えたという実話もあります。

 

無我夢中に過ごした月日が過ぎ、少しずつ言葉や周りの状況が見えてくると、自分なりの理解が進みます。

 

なるほどオハイオ州はアンクルトムの小屋でも描かれた自由州だけあって、人種差別はない。黒人も白人も仲良く過ごしている。アジア人の僕も皆が受け入れてくれる。

 

のは、表面だけの話なんだ、ということに。

 

差別が本当に怖いのは、普段は良いんです、だけど、時おり瞬間的に人間の本音が見える。その瞬間、すべてが、とまります。

景色が色あせます。耳は騒音しか聴こえなくなる。

目の前の友人が、親しい友人が、人の顔をした何か別のものに思える。

 

次の瞬間、何も無かったかのように、元の時間の流れにもどります。

友人の顔は、一瞬引きつり、そしてすぐに元の笑顔に戻る。

 

何回見たことでしょう。

 

というほどの回数はありません。

ありませんが、一回一回が、僕の心には永遠の記憶となって残っています。

あの空気、あの喧騒、あの目線。

 

85年のアメリカは、最後の黄金期でした。ソ連との雪解けを行い、アップル社が小さなおしゃれなパソコンを売り出し、社会に余裕と夢があふれていました。

そして、1986年1月20日、はじめてのキング牧師の日に僕は黒人教会でそれを祝う事が出来ました。

 

僕が知っているオハイオは、85年から86年の一年間だけ。元々が自由州。南北戦争では当然ながら北軍で、奴隷制による巨大プランテーションもなく、黒人の数も少ない。

僕の記憶が正しければ、当時全米で唯一の黒人のための州立大(セントラル州立大)があったのもオハイオです。

そのオハイオでさえ、今思い出しても胸がつまるような思いをせざるを得ない、差別意識が皆の心の低層、基盤に根強く残っていた。

 

それから考えると、映画の舞台の1962年がどれだけ酷い状況だったのか。

 

想像する事すら恐ろしい。

 

これを踏まえての感想です。

長くなりすぎたので、次の記事で。